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浦和地方裁判所川越支部 昭和54年(ワ)86号 判決 1981年8月17日

主文

一  被告らは連帯して原告に対し、金三七二万一、五〇〇円及びこれに対する昭和五〇年一一月二日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は三分し、その二を原告、その一を被告らの負担とする。

四  この判決の主文第一項は仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告

1  被告らは連帯して原告に対し、金一、一六六万八、〇〇〇円及びこれに対する昭和五〇年一一月二日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

被告ら

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  交通事故の発生

(一)  発生日時 昭和五〇年一一月二日午後五時二〇分ころ

(二)  発生場所 東松山市大字毛塚四〇八―一先県道

(三)  事故区分 被害車前部右側中破

(四)  加害車 埼五五み八五五一号(普通乗用車)

運転者 被告福島喜作(以下被告喜作という)

所有者 被告福島勇作(以下被告勇作という)

(五)  被害車 茨五五て三三八七号(普通乗用車)

運転者 原告

(六)  被害者 原告及び訴外三宅悠紀子他二名

二  責任原因

一 被告喜作は、右日時ころ本件事故現場付近(見通しのよい直線状二車線の県道)を坂戸方面から熊谷方面に向け時速約四〇キロメートルで走行中、事故現場手前において「マメトラ」(小型農耕用トラクター)を認め、これを追い越すべく加速して一時センターラインを越えて進行し、次いで衝突地点の約一五メートル手前において自車線に入る操作をしたが、その際くわえていた煙草を車内に落し、これを拾おうとして右片手でハンドルを操作し脇見して前方注視義務を怠り、センターラインを越えて自車を進行させ、これを見て道路最左側に被害車を停止させて加害車の通過を待つていた被害者に自車を正面衝突させ、よつて被害車を損壊し、その運転者である原告及びその同乗者である右訴外三名に傷害を与えた。

二 被告勇作は、加害車を所有し、これを同居の親族である被告喜作に使用目的・使用期間・使用方法を定めて貸与し、使用後は直ちに返還を受ける関係にあつたので、運行支配・運行利益共に有し、従つて自己の運行の用に供していたものである。

三  よつて、被告喜作は民法第七〇九条、被告勇作は自動車損害賠償保障法第三条により、被告等は民法第七一九条により連帯して原告に対し以下に掲げる損害を賠償しなければならない。

三  損害

一 積極損害

(一)  治療費(昭和五〇年一一月二日から昭和五二年八月六日) 金二七四万六、五〇〇円

(二)  付添費

1 付添看護婦料 金一二万四、四七〇円(二〇日分)

2 近親者付添費 金一二万八、〇〇〇円(六四日分)

(三)  入院雑費 金四万二、〇〇〇円

(四)  物損 金六七万四、二五〇円

二 消極損害

(一)  慰藉料 (入・通院) 金一一四万八、〇〇〇円

(二)  休業損失 金五四万円(有給二八日、病欠八〇日中四〇日)

(三)  後遺症逸失利益 金一、一〇〇万円

以上損害合計 金一、六四〇万三、二二〇円

四  損害算定上の特記事項

(一)  原告は、昭和一八年国立名古屋高等工業学校土木学科(現、国立名古屋大学)を卒業し、海軍の軍務に服し、昭和二五年自衛隊に入隊し、その間主として土木・建築の計画、設計、施行を担当する施設幕僚ないし同幹部として勤務し、本件事故後の昭和五一年一〇月一一日一等空佐の階級において、航空自衛隊を定年退職し、翌日、東京海上火災保険株式会社自動車損害部に再就職した。

(二)  航空自衛隊においては、定年退職する自衛官に対し、その前年再就職に関する希望を調査し、希望に従つて、再就職を援護しているので、原告も昭和五〇年三月、土木・建築関係会社への再就職を希望する書面を提出した。けだし原部の土木・建築に関する学歴及び自衛隊における同方面の経験を利用し有利な再就職ができると期待したからである。

(三)  ところが、本件事故により、入院八四日、通院四九九日に及びその後も心因性の後遺症に悩まされ、結局施設関係の先輩が斡旋してくれた土木・建築関係の有利な再就職を健康に対する自信を失つた結果、昭和五一年三月ころこれを断念し、結局当時の体力によつて可能な右事務系の再就職で満足しなければならなくなつた。このように原告は、再就職に関し最も重要な選択を要する時期に本件事故により受傷し、心因性の症候に悩まされたもので、本件事故と左記損失との間に相当因果関係がある。

(四)  施設幕僚が土木・建築関係会社に就職した場合はその平均の月収は金三四万円であるのに対し、事務系の会社の再就職の平均月収は二〇万円程度であつて、その差は一五万円に達する。

(五)  そこで、原告は自衛隊の定年である五三歳から、六五歳の間、月平均少くも一〇万円の損失を蒙つたものであるから

10万円×12月×9.215(12年のホフマン係数)=1,100万円の、一、一〇〇万円の逸失利益を生じたものである。

五  損害の填補

一 被告らは、右訴外三名に生じた治療費その他の損害はすべて保険金により支払つた。

二 被告らは、原告に生じた右合計金一、六四〇万三、二二〇円の中

(一)  治療費 金二七四万六、五〇〇円

(二)  付添費

1 付添看護婦料 金一二万四、四七〇円

(三)  入院雑費 金四万二、〇〇〇円

(四)  物損 金六七万四、二五〇円

(五)  慰藉料 金一一四万八、〇〇〇円

右合計金四七三万五、二二〇円を原告に対し、昭和五三年一〇月二三日までに支払つた。

六  結論

よつて、原告は被告から合計金一、六四〇万三、二二〇円の損害を受け、その中金四七三万五、二二〇円の支払いを受けたから残額である金一、一六六万八、〇〇〇円及び事故発生の日である昭和五〇年一一月二日から支払い済みに至るまで右金員に対する民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因に対する答弁

請求原因一項の事実のうち、(一)、(二)、(五)、(六)は認める。(三)は否認する。(四)のうち運行者福島勇作とあるを否認し、その余の事実は認める。

同二項一、の事実のうち事故現場が見通しのよい直線状二車線の県道であること、被告喜作が煙草を落し、拾おうとした事実、被害車に被告喜作運転車両が衝突(正面衝突ではない)し、原告らが受傷した事実は認めるが、その余の事実は否認する。

同二項二、の事実のうち被告勇作が被告車を所有していた事実は認める。

同二項三、は争う。

同三項一、(一)ないし(四)は不知。

同項二、(一)ないし(三)は不知。

同四項(一)ないし(五)はいずれも不知、原告の主張については争う。

同五項一、の事実は認める。

同項二、(一)ないし(五)の各費目の賠償支払をした事実を認める。ただし被告らの支払額合計は、金四九八万一、七二〇円(うち物損六七万四、二五〇円をふくむ)である。

第四被告らの主張

一  原告の請求にかかる逸失利益は、次のとおり本件事故と相当因果関係がない。

1  即ち原告は、自衛官定年退職後施設関係への就職が出来なかつたと主張するが、原告は再就職にあたつて医師に相談することなく、原告の自由な意思によつて事務系統の仕事を選択したのであつて、本件事故による受傷の結果ではない。

しかも、退官当時、原告はどこかの施設関係の雇主又は会社等と雇傭契約がすでに存在しており、それが本件事故による傷害の結果、解約もしくは解除されたというような事実関係があれば別であるが、そのような事実関係は全くない。

2  次に原告は、心因性の後遺症によるものであるから本件事故と相当因果関係にたつ損害であると主張するが、「心因性」とは他覚的所見なく、すなわち医師・医学上の客観的医療にもとづく健康状態は正常であるにもかかわらず、ただ本人が何ら医学的根拠がないのに病気であると思い込んでいる状態であり、その意味において人工的であり、原告自身の心因という発想により新たに招来された新たな原因であつて、本件事故によるものでない。

以上のとおり原告請求の損害は、法律的に確実性をもつたものではなく、単に原告の恣意的な意図を原因とする描かれた仮想的、感情的、架空の損害であつて、本件事故とは何ら相当因果関係がない。

二  被告勇作の無責

本件事故車両の所有者である被告勇作は、被告喜作にこれを貸与し、借主である喜作が、自己の用件で且つ自己の計算において借用中発生せしめた事故であつて、貸与の時点において被告勇作の右車両に対する運行支配・運転利益は喪われており、被告勇作が運行供用者責任を負ういわれはない。

三  原告の逸失利益請求の失当

原告の請求は、就職の選択結果による損害の請求で、これが理由がないことは前述のとおりであるが、仮りに症状固定時の後遺障害にもとづく逸失利益の賠償請求を含むとしても、原告の本件事故による残存症状は、心因性の強い神経症状(いわゆるむちうち)を残すにすぎず、わずかに自賠法施行令別表一四級一〇号に該当するに止まる。

従つて二四二万円(原告の症状固定時後の年収)×〇・〇五(むちうち喪失率)×二・七二(喪失期間のライプニッツ係数)=三二万九、〇〇〇円が限度である。

しかるところ、後記のとおり、原告にも本件事故に関して前方不注視、適正操作をとらなかつた過失があり、右過失は一〇パーセントを下るものではないと思料するので物損を除く人損計金四三〇万七、四五〇円に右金三二万九、〇〇〇円を加算した合計金四六三万六、四五〇円に原告の右過失割合を乗じ、右合計額から右既払金四三〇万七、四五〇円を差引くと、次のとおり被告らの過払いとなるので、請求は理由がない。

四六三万四、二五〇円×(一-〇・九右原告過失)-四三〇万七、四五〇円=△一三万六、六二五円

四  過失相殺

本件事故発生に関しては、原告には以下に述べる重大な過失があるので、損害賠償額の算定にあたつては十二分に斟酌しなければならない。

1  原告らは秩父長瀞への行楽の帰りで帰途を急いでおり、本件事故発生直前、前方に対する注意を十分に尽していなかつた重大な過失

2  原告は、被告喜作の運転車がマメトラ(小型農耕用トラクター)追越しのためセンターラインをオーバーして走行してくるのを、前照灯により少くとも約一五メートル手前で確認しながら、片側幅員約三・一五メートルでしかも事故現場付近は喜作運転車からは下り坂であることからしても、対向原告車としては、右喜作車の走行によく注意することはもちろん、衝突等回避のため、少くとも確認時点より減速走行することはもとより、未然に衝突の防止をなすべき注意義務がありながらこれを怠り、漫然従前の速度のまま進行した重大な過失

第五証拠〔略〕

理由

一  被告喜作は、昭和五〇年一一月二日午後五時二〇分ころ、被告勇作所有の車両を運転して、埼玉県東松山市大字毛塚四〇八―一先県道を坂戸市方面から熊谷市方面に向けて進行中、原告運転車両と衝突し、原告及び訴外三宅悠紀子外二名が傷害を負つた事実(以下本件事故という)は、当事者間に争いがない。

二  被告らの責任

右当事者間に争いのない事実に成立に争いのない乙第一号証の一、第一号証の二の一ないし五、第一号証の三の一、二、第一号証の四ないし一六、第一号証の一九、二〇、原告本人尋問(第一、二回)、被告福島喜作本人尋問(但し後記措信し難い部分を除く)の各結果を総合すると以下の事実を認めることができる。

被告喜作は、息子の被告勇作所有の車両を仕事(左官業)の打合せのため事故当日同人の了解を得て借り受け、前記日時ころ、前記場所(幅員六・三メートル見通しのよい直線状二車線県道)を坂戸町(現坂戸市)方面から熊谷市方面に向けて時速約四〇キロメートルで進行中、同進路前方を同一方向に進行中のマメトラ(小型農耕用トラクター、車幅約二メートル)を認め、センターラインを越えてこれを追い越し、同所から約二五メートル進行し、自車線に戻ろうとした地点(衝突地点から約一五メートル手前)付近で、左手に吸いかけの煙草を持つたままギヤ操作をしたため、その煙草を助手席に落してしまい、それを拾い取ろうとして右片手ハンドルで運転し、左脇を見るなどしてその間前方注視義務を怠り、センターテインを越えて自車を右前方に暴走させ、これを見て道路最左側に避譲し加害車の通過を待つていた原告運転車両の右前部に自車右前部を衝突させ、よつて原告車両を損壊し、原告及び同乗者三名に傷害を与えた。

右の認定に反する被告喜作本人尋問の結果は措信し難く、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

以上の認定事実によれば、本件事故は被告喜作の過失に基因するものであつて、被告喜作はこれによつて原告に生じた損害を民法七〇九条に基き賠償すべき責任を有する。

なお被告らは、本件事故の発生について原告にも運転上の過失があるので、賠償額の算定につき過失相殺をなすべきであると主張するが前記認定のとおり、原告は被告喜作がセンターラインを越えて走行してくるのを認め、道路最左端に避譲していたところに被告喜作が暴走してきて衝突したものであつて、原告にとつてはこれ以上の回避措置をとり難く、その他記録を精査するも原告には、被告主張の過失は見当らない。

次に本件加害車両が被告勇作の所有であることは当事者間に争いのないところ、被告らは親子であり、当日被告喜作は仕事の打合せのため短時間、無償で右車両を借用したものであつて、これによれば本件車両に対する被告勇作の運行支配は未だ喪われていず、他に立証がない以上結局被告勇作は本件事故につき自賠法三条の運行供用者と解するのが相当であり、被告喜作と連帯して原告に生じた損害を賠償すべき義務を有する。

三  損害

1  原告の主張する損害の積極損害のうち治療費・付添看護婦料・入院雑費・物損、消極損害のうち慰藉料がそれぞれ支払われたことは当事者間に争いがない。

そこで弁論の全趣旨によれば、原告には本件事故による近親者付添費として六四日分一日二、〇〇〇円の割合で金一二万八、〇〇〇円、休業損失として有給二八日、病欠八〇日中四〇日分として金五四万円の損害が発生したことが認められるが、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第五号証の一、二、被告喜作本人尋問の結果によれば、被告喜作は原告に対し後遺症逸失利益を除く前記損害につき合計金四九八万一、七二〇円支払つたことが認められるので、被告らは請求額との差額(金五四〇万三、二二〇円-金四九八万一、七二〇円)金四二万一、五〇〇円を支払う義務がある。

2  次に後遺症逸失利益について検討する。

(一)  まず原告の経歴及び再就職に至る経緯をみるに、成立に争いのない甲第一号証、第二号証の一、二、証人森敏夫、同藤山幸彦の各証言、原告本人尋問(第一、二回)の結果を総合すると以下の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

原告は、昭和一八年旧制名古屋高等工業学校土木科を卒業し、海軍の技術中尉として土木・施設関係の軍務に服し、復員後一時土木建築関係の民間会社に就職したものの、昭和二五年警察予備隊に入隊し主として土木施設関係の仕事に従事し、同三二年航空自衛隊に転隊後も航空幕僚監部防衛施設課にあつて、飛行場や官舎等の建設計画・工事実施等を担当する施設幕僚ないし同幹部として勤務し、その能力は高く評価され、本件事故後の昭和五一年一〇月一一日一等空佐の階級で定年退職し、翌日東京海上火災保険株式会社自動車損害部に嘱託として再就職した。

航空自衛隊においては、定年退職する上級幹部に対し、その前年の三月ころ各人から再就職に関する希望を徴集し、それに基いて再就職を援護しているのであるが、原告は昭和五〇年三月、施設方面の就職を希望する旨調査表を提出していた。ところが本件事故により体力に自信を失つたとして昭和五一年七月ころ損害賠償査定関係の職に就職したい旨申し出、現在の職場に就職したものであるが、昭和五〇年から同五三年の間にかけて航空自衛隊の人事援護室を経由して就職した施設職域の一等空佐八名中、六名は施設関係に、二名(原告を含む)はその他の職域に就職した。因みに施設関係就職者の初任給の平均年収額は約四一二万円、その他への就職者のそれは約二四二万円である。

(二)  次いで治療経過についてみるに、成立に争いのない乙第一号証の八、第三号証、第四号証、第六号証の一ないし二二、第七号証の一ないし一二、第八号証、第九号証、鑑定証人山根宏夫、同松原英多の各証言、原告本人尋問(第一、二回)の結果を総合すると以下の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

1 東松山整形外科病院

原告は、本件事故により直ちに東松山整形外科病院に入院した。全身状態は極めて不良でその際の病名は「胸部外傷、顔面挫創、肋骨々折」で、約一ケ月間の加療を要する見込みという診断であつた。そして同病院で注射・内服・安静等の治療の結果歩行ができる迄に回復したので、昭和五〇年一二月一五日同病院から豊岡第一病院に転入院した。

2 豊岡第一病院

同病院に入院時の傷病名は、「頭部外傷、頸部捻挫、第六肋骨々折、前胸部打撲」というもので、当時の主な症状は、頭痛、耳鳴りがし、左胸が圧迫され、手足にしびれ感があり、夜中に時々息苦しくなり、手足が冷たく感じること等であつた。同病院には昭和五一年一月二四日まで入院したが、その間殆んど毎日牽引療法と機能訓練などむち打症の治療を重点的に続け、脳波の検査には異常は示さず、年末年始はもとより外に数日外泊も許可されるに至つたが、頭痛、耳鳴り、胸部圧迫感、頸部の痛みは去らなかつたものの、次第に軽減し、「軽快退院」した。

翌日から同年一〇月三一日までの間同病院に通院(但し足繁く通院したのは同年四月ころまでで、その後は月に数回投薬と脳波検査に通う程度であつた)し、同年一一月一八日同病院医師山根宏夫は、原告には未だ耳鳴りや手の疲れ、目の疲れ等本人の訴えに基く残存症状があつて、今後外にどのような後遺症が出るか定かではないが、症状全体としては軽快し仕事にも支障がない段階に達したと判断して同年一〇月三一日で「治癒」した旨の診断を下した。尚原告はこの間にあつて七月二九日には東京海上火災に入社が決定し、一〇月一一日には自衛隊を定年退職したが、原告は主治医の山根医師に対し退職することはもとより今後就職することについての身体的な相談はなんらしなかつた。さらに原告はこの間にあつて、自衛隊幹部の「退職後のことは任せておけ」との言を信じ、或いは定年前により高官位に補職されて定年退職を免れるのではないかとの期待をも持つていたので、幹部には再就職についての相談をかけなかつた。

3 エビス診療所

原告は定年退職の翌日から東京海上火災保険株式会社に入社したが、同時に当日からエビス診療所に通院した。その際の主訴は、前頭痛及び同部が締めつけられるような感じがするというもので、検査の結果、本件事故の結果と思われる頸肩腕症候群の経過は良く再発の虞はないが、原告の生活及び精神的背景を考慮に入れるならば、右の主訴の大部分は治療中に現われた心因性症状に基づく後遺症と認められた。

原告は同診療所に昭和五二年七月二六日ころまで通院し、同月二九日付で症状が固定した旨の診断がなされた。

尚原告は、ここでも同診療所長松原英多医師に対し自衛隊を定年退職したことや再就職についての相談などはなんらしなかつた。

4 現状

原告は現在不本意ながらも東京海上火災保険株式会社に嘱託として勤務し、自動車事故の査定業務に従事しているが、未だに疲れると前額部が締めつけられるような感じがし、又耳鳴り感もあつて残存後遺症に悩まされている。

四  当裁判所の判断

(一)  本件事故と希望職種に就職し得なかつたことの因果関係

前記認定のとおり、原告は旧制工業高校土木科を卒業後、一貫して土木・施設関係の仕事に携わり、特に警察予備隊、自衛隊を通じて定年に至る迄の約二五年間、土木・施設関係の専門家としてこれらの業務に従事し、その能力は高く評価されて来たのであるから、原告において定年後も自己の能力を発揮し得る第二の就職先をと考えたことは当然といえる。そして航空自衛隊における施設幕僚ないし同幹部のうち大多数の者は、人事援護室を経由してほぼ希望通り施設関係の職場に再就職し得たのが実情であり、原告も本件事故がなく、順調に定年を迎えておれば、希望職種の会社に再就職し得たであろうことは、容易に推察し得るところである。原告は、昭和五一年一月二四日には軽快退院し、その後徐々に好転したとはいえ第二の人生を決める重要な時期に受傷し、爾来今日に至るまでなお耳鳴り、頭痛等の残存後遺症状にさいなまれ、土木関係の仕事の如く屋外作業或いは出張を伴う職種には適さない身体的状況にあり、これを断念せざるを得なかつたもので、結局本件事故による後遺症状により希望する土木関係の会社に就職し得なかつたということができ、その間に相当困果関係の存在を肯定することができる(尚原告は定年退職までの間に、特定の会社との間で雇用契約を締結しており、これが本件事故により破棄の止むなきに至つたという関係にあるのではないが、そうであるからといつて因果関係を否定することにはならない)。

以上の次第であるから被告らは原告の蒙つた後遺症状による逸失利益を賠償すべき義務を負うところ、前記認定のとおり土木・施設関係就職者の初任給平均年収額は約四一二万円、原告を含むその他の就職者のそれは約二四二万円で、その差額は約一七〇万円と認められるところ、そのうち原告は年収差額一二〇万円として請求しているので、五三歳から六五歳(勤務年数については被告らの明らかに争わないところである。尚五三歳の者の就労可能年数は、統計によると一四年である)迄の損失額は、原告主張どおり

10万円×12月×9.215(12年のホフマン係数)=1,105.8万円となり、請求額一、一〇〇万円を一応認容することができる。

(二)  損害額の拡大についての原告の過失

ところで原告は、本件事故から定年に至る一年に近い間、前記のとおり二ケ所の病院に入・通院したが、持ち前の責任感、生真面目さから他人への迷惑をおそれて主治医にすら近く定年を迎えること及び再就職についての種々の相談するようなことなど一切なさず、一人思い悩み、自衛隊の上司にも適切な指示・助言を仰がなかつたのである。

そして豊岡第一病院は昭和五一年一月二四日軽快退院し、その後同病院に足繁く通院したのが四月ころまでで、七月二九日には東京海上に入社が内定し、定年直後には「治癒」の診断が下されている程に好転していたのであるから、原告としては、退院から定年までの九ケ月の間、それ程までに土木・施設関係の会社に就職したかつたのであれば、残存症状の為必ずしも良好な健康状態ではなかつたにせよ、医師や先輩ともよく相談のうえ自ら希望する職に就けるよう真摯な努力をなすべきにも拘わらず、援護室に依頼したきり若しくはあわよくば高官位に補されて定年が回避されるのではないかとの期待もあつてこれをなさなかつたのである。もしかかる努力がなされたならば時期的余裕・及び身体的状況からして或いは希望に近い職に就けたやもしれないのである。これは即ち原告の逸失利益の拡大につき原告自身に相当の落度があつたといわなければならない。

そこで当裁判所は、原告の逸失利益を算定するにつき、職権で過失相殺をなすこととし、諸般の事情を斟酌するならば、原告の過失は七割とみて、これを控除するのが相当と考える。よつて逸失利益の額は

1,100万円×(1-0.7)=330万円 となり

右金三三〇万円の限度でこれを認容することとする。

五  結論

以上の次第であるから、原告の本訴請求中、

近親者付添費 金一二万八、〇〇〇円

休業損失費 金五四万円

右計六六万八、〇〇〇円のうち清算残金四二万一、五〇〇円後遺症逸失利益 金三三〇万円

計 金三七二万一、五〇〇円

及びこれに対する昭和五〇年一一月二日から年五分の割合による損害金の限度で理由があるからこれを認容することとし、その余の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用については、これを三分し、その二を原告、その一を被告らの負担と定め、仮執行宣言につき民訴法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 今井俊介)

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